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Do you know Danshari?

 世の中じゃ昨今よく断捨離なんてことをよく言いますが、入ってくるものを断ったり、家にある物を捨てたり、物質的欲望から離れるなんてのは、これ、家の中に物が溢れかえってる人の発想だよね。

 いやそうじゃなくて、これは東洋思想の一種で物をどうこうすることは手段に過ぎなくて? でも、これ、やっぱ、元々家の中がガランとしちまって、猫の毛一本漂ってないなんて家にはありえない発想だっちゃ? だからわが家では決してそんな言葉が宙に発せられることは一度たりともありえないのである。

 元々が入荷が絶たれっぱなしの家なのだから。今ある物を捨てたら明日からたちまち暮らしが不便になる家なんだから。物質的欲望なんて持ちようのない経済状況なんだから。

 しかし考えてみれば、わたしの家には関係ない言葉とはいえ、世の中にこんな言葉があることは、これ、わたしのような人間にさえ何らかの希望の芽は残ってるって意味で、素晴しきことなんだろうな。

 だって。

 世の中は断捨離なんて言葉が誰の口からも出てくるほど、物にあふれている。そんくらい景気がよろしい。その程度には、よろしい。少なくとも我が家ほどに貧困な家ばかりでは、決して、ない。

 そんなわたしは、そんな方々から直接お代を頂戴する仕事に、これ、務めている。つうことは、その中には断捨離なんて言葉をへらへら、その根本的意味など知らないままに口にする方々も多分にいるに違いなく、そんな方々は、わたしが捨てようにも元から持ってないような物を、次々に市の清掃公社や民間の廃品回収業者に金を払ってまで「捨」してしまうような方々なのであり、それはつまり一言で言えば、わたしなんかより数倍もお金を保持しておられるということである。

 しかしその方々が一瞬にして見破れるほどお金もちの様相を示しているかと言えばそれほどのこともなく、大概の断捨離族は休日のわたしなんかと、それほど変わりのない風体をなさっているのである。

 これはすなわちどんな現実、並びに明日への暗示を示しているかと言えば、

「うちにもおこぼれはあるぞ!」

 ってことなのである。

 おこぼれあるところに、余裕は生まれる。

 つまり、断ったりする必要のない我が家、捨てるものなど何もない我が家、物質欲を持ちえない我が家、そんなわたしの家にも、いつか一人でくるくる回って掃除しちゃってくれたりする円盤様物質や、一人でくるくる回って音曲を演奏してくれるテーブル様物質がもたらされるかもしれないのである。

 頑張れ! 断捨離族!


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by taroustory | 2018-05-22 17:08 | タクシー日記